街道をゆく18・木洩れ日と苔
『街道をゆく18』の続きです。
前回(2016年4月24日投稿)の
で予告したとおり
今回は「木洩れ日」での
苔(コケ)の描写を紹介します。
冒頭から苔の登場です。
「前夜が雨だったせいか、
苔が濡れており、(中略)
靴底をすべらせて尻餅をついた。
(中略)
尻餅は苔の上でつくために
痛くはなかった」
司馬さんが十数年前に
平泉寺を訪れ広い林間を歩いたときの
記憶にある苔の描写から始まります。
司馬さんらが越前を旅したのは
昭和55年(1980年)の秋10月のはじめ
と書かれていますので
1960年代後半の想い出ですね。
ちなみに『街道をゆく18』は
『週刊朝日』に1980年の12月から
1981年の6月に掲載されました。
そしてこの旅(1980年)での
平泉寺の庭の描写に移ります。
「庭に入ると、一面の苔である。」
もとの玄成院の枯山水の庭園で
作庭者は細川高国(室町後期の武将)
と伝えられています。
「しかし、作庭された当初、
設計者は苔の庭にしようなどとは
思わなかったろう。
ただこの平泉寺境域の自然条件が、
ながい歳月のなかで、
庭を一面の苔でうずめてしまった
ものであるらしい。」
作庭された当初は苔がなかった
そうですから同じですね。
”「こんな苔、見たことがありません」
「この苔の色は、
日本画でいう白緑ですね」”
司馬さんの旅にいつも同行して
本の扉絵や挿絵を描いている
須田剋太画伯のつぶやきです。
白緑(びゃくろく)というのは
白みを帯びた淡い緑色のこと
のようですね。
そして苔の種類についての
記述が続きます。
「画伯が指先でふれている苔は、
杉苔(スギゴケ)でもなかった。」
この境内の苔は主に
ヒノキゴケ、ヒメオキナゴケ、スギゴケ
だと書かれていますが
目の前の苔がどの種類なのかは
司馬さんも須田画伯も
わからなかったようですね。
無理もありませんが。
さらに苔が育つ環境についての
記述へと続きます。
「すぐれた苔が育つのに、
この境域は絶好の条件が
そなわっているのにちがいなかった。」
まず木洩れ日がさすということ
過度に湿気がこもらないこと
そして
「冬季の深い積雪が、
苔の地を温かく
ほぐしつづけていることも、
その生育にいいのにちがいない。」
と書いています。
木洩れ日がさすような半日陰であることや
適度に湿度が保たれていることは
よくいわれていることですが
積雪が地面をほぐしているという
ポイントは初めてききましたね。
司馬さんはどこで調べたのでしょう?
続いては
庭のはしの斜面に登り
庭を見おろしてみた景色です。
「苔に落ちてまだらに光の環(たま)を
点在させている木洩れ日の感じが、
なんともいえずよかった。」
さらに石段から出ている枝道を
下った底の窪地も
「林と木洩れ日と苔で構成されていた。」
木洩れ日と苔
いい風景ですね。
今回は苔の記述が多すぎて!
というよりほぼすべてが苔の
描写や苔の話になっているので
すべてを紹介しきれていません。
まったく興味のないかたでも
この「18・越前の諸道」は
苔のエッセイとしても
楽しく読めると思いますよ。
一読をおすすめします。