モミジと苔

ベランダで愉しむ作り方と育て方

街道をゆく17・苔と海苔

街道をゆく17』は島原と天草です。

 

苔(コケ)という文字が六回出てきます。

 

苔はコケ、ゴケまたはタイと読みますよね。

たとえば山苔ならヤマゴケと読み

蘚苔類なら、せんたいるい です。

 

しかしながら

海苔はうみごけ!ではなく、もちろんのり。

 

海苔は当然ながらコケ植物ではありません。

水中の岩石に苔のように着生する

食用の藻類を海苔というようです。

 

苔というのはコケ植物も地衣類もシダ類も

そして藻類までもコケなんですね。

 

 

まず一つめの苔。

「松倉重正」より

「当時、順慶は三十半ばで、

老獪といえるほどに

のついた年齢でもない。」

 

当時とは、天正十年本能寺の変のあとの

秀吉と光秀の山崎の合戦当時のこと。

 

そして順慶とは筒井順慶

この筒井順慶の老臣に松倉右近があり

松倉重正の父です。

 

松倉重正は徳川家康に気に入られて

島原半島一円の領主となりましたが

その愚かな息子とともに

島原の乱をひきおこす原因をつくった

という忌むべき人物。

 

 

二つめは銭苔。

「侍と百姓」より

銭苔(ぜにごけ)のはえ

石垣と石垣とのあいだから

こうもりでもとびだしてきそうな

刻限で、(以下省略)」

 

島原の鉄砲町(てっぽうまち)の描写です。

ゼニゴケは二回目の登場ですね。

 

 

そして三つめが海苔。

「北有馬」より

「アオサとよばれる青海苔もふんだんにとれた。」

 

アオサと青海苔は色は同じですが

形や香りが違う別物のようです?

詳しいことはわかりません。

 

 

四つめ。

「板倉」より

"「板倉内膳正重正の碑」という

石碑もそのひとつで、

碑面にの枯れあとが

青さびている。"

 

板倉重正は島原の乱鎮圧の

幕府方の総司令官で

総攻撃の先頭に立ち戦死した。

 

 

五つめ。

「延慶寺の梅」より

「樹齢は五百年ほどだという。

ぜんたいに低く、

の丘いっぱいにひろがっている。」

 

兜梅(かぶとうめ)という梅の木だそうですよ。

 

 

六つめ。

「崎津」より

「海に対して玄関があり、

さらに玄関から石段が、

海面に向かって降りている。

潮の洗う段には、青苔がついていた。」

 

江戸期以来、

崎津を代表する宿だったという

紋付屋の玄関の描写です。

 

青苔(せいたい)は緑のコケ

のことなのですが

これはコケなのでしょうか

それとも藻なのでしょうか?

 

 

四月に入りました。

桜は満開、花曇り。

明日は暖かそうです。

 

街道をゆく17』司馬遼太郎 島原・天草の諸道

街道をゆく〈17〉島原・天草の諸道 (朝日文庫)

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