街道をゆく33・苔の下
そして東京の赤坂です。
「奥州白河・会津のみち」に二か所
苔(コケ)が書かれています。
まずひとつめの苔。
「奥州白河・会津のみち 二つの関のあと」
「小ぶりな空間のなかに歴史が
苔の下にもぐりこんで息づいていて」
歌枕としても名だたる白河の関ですが
その跡の場所がわからなくなっていた
のだそうです。
江戸後期
白河神社が建つ場所が
白河の関跡であると断定しました。
その後
昭和の発掘調査の結果
昭和41年に「白河関跡」として
国の史跡に指定されました。
司馬さん一行がまず訪れたのは
江戸時代にずっとつかわれていた
もうひとつの関跡のほうです。
「境の明神」とよばれるこの場所は
まさに境にあるようです。
江戸時代
参勤交代の大名行列がとおったこの道は
杉木立にかこまれ蒼古とした景観を
色濃く残しているいい場所のようです。
ちなみに司馬さん一行は
この後に白河の関跡に向かいました。
そしてふたつめの苔。
「奥州白河・会津のみち 関川寺」
「最古参格の宗広の鎌倉ふうの墓が、
宗広その人のように
何を語るわけでもなく、
苔むしてうずくまっているのが、
印象的だった。」
後醍醐天皇から討幕の綸旨を受けると
宗広は最後まで
南朝に忠実な武将であったそうです。
JR東日本のテレビCMで
吉永小百合さんが苔の観察!
北八ヶ岳の苔の森ですね。
昨日今日と雨、五月雨ですね。
明日はまた暑くなりそうです。