モミジと苔

ベランダで愉しむ作り方と育て方

街道をゆく27・苔古び

街道をゆく27』は因幡伯耆

檮原街道です。

 

苔(コケ)、羊歯(シダ)、紅葉(モミジ)

に関する記述がありました。

 

まず最初に登場するのはシダ。

 

因幡伯耆のみち 人と物と自然』より

「かれは江戸期の人らしく、

年次計画をたてた。

まず砂ふせぎの羊歯垣をつくって、

その内側にクロマツをうえた。」

 

因幡(いなば)は鳥取県の東半分で

西半分が伯耆(ほうき)

鳥取砂丘因幡になります。

 

「かれ」とは船越作左衛門。

米子の商人でしたが生業をすて

鳥取砂丘への植林事業を

生涯の仕事にした人です。

 

羊歯垣(シダがき)とは

シダ類のウラジロで作った

垣のようですね。

 

次は苔です。

 

因幡伯耆のみち しづやしづ』より

「さらには白木が青く古びた

清潔そのものの社殿があったが、

神職も番人もいなかった。」

 

「しづやしづ しづのをだまき・・・」

白拍子静御前が頼朝の前でうたった

義経を恋い無情を嘆く即興の歌です。

 

倭(しづ)や倭文(しとり)は織物をさし

「しづのをだまき」は

織るための糸をまるめた玉のこと。

 

伯耆の国の一ノ宮だという

機織(はたおり)の神を祀る

倭文(しとり)神社の描写です。

 

司馬さんは倭文ということばから

静御前の歌を連想したそうです。

 

そして紅葉です。

 

因幡伯耆のみち 伯耆の鰯売り』より

「あの旅は、

紅葉の見頃を見はからって

行ったのである。」

 

司馬さんが「凄い紅葉」とも書いたのは

伯耆富士とも呼ばれる大山(だいせん)に

昭和三十年ごろに登ったときのこと。

 

山の中腹より上は

「あらゆる種類の落葉樹が

紅や黄に色を変えていた」そうです。

 

「とくに黄がうつくしく」

とも書いていますので

ヤマモミジの黄葉の色

だったのかもしれませんね。

 

最後にもうひとつ苔です。

 

『檮原街道 坂龍飛騰』より

「墓は、樹々の木下闇の中にあって、

までが冷たかった。」

 

檮原(ゆすはら)街道は

脱藩の道ともよばれます。

 

坂本龍馬が同志とともに

土佐(高知県)から伊予(愛媛県)へ

脱藩するときに通った道です。

 

脱藩の日の夜

龍馬らが泊めてもらったのが

檮原の郷士那須家でした。

 

この夜、酒を飲んだ主客四人は

ことごとく非業の最期を遂げました。

その那須家の墓の描写です。

 

 

雪です。

54年ぶりの11月の初雪。

地面が真っ白になるほど積もりました。

小雪は過ぎましたが積雪とは。

まるで雪国のようです。

 

街道をゆく司馬遼太郎 27・因幡伯耆のみち、檮原街道

街道をゆく (27) (朝日文芸文庫 (し1-28))

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